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RPべるぎーの胸の内:障害者と恋愛(4)

前々回の記事(障害者と恋愛(2))から、私が「障害者と恋愛」と聞いて思い出すテレビドラマ、『大恋愛〜僕を忘れる君と』(だいれんあい ぼくをわすれるきみと、以下『大恋愛』)を観て私が感じたことや考えたことについて書かせていただいております。今回も引き続き、『大恋愛』を観て私が感じたことや考えたことについて書かせていただきます。なお、以下の内容は『大恋愛』のネタバレを含みますので、ご注意ください。

この記事は2020年3月12日掲載の「RPべるぎーの胸の内:障害者と恋愛(3)」のつづきです。まだお読みになっていない方は、上記の(3)から先にご覧ください。

2人が別れてから

尚さんは真司さんと別れたあと一気に病状が進行してしまいます。しかし、最終的には自分が愛した人である真司さんと結婚し、子どもを授かることができました。結婚が白紙になったとしてもそれは過去の話であり、その過去を乗り越えて愛する人と結婚し、その相手との子供を授かった尚さん。幸せの定義は人それぞれ違うと思いますが、少なくとも私の目にはとても幸せそうに映りました。ドラマの中で『死んでしまいたいくらい幸せ』と尚さんが言うシーンがありましたが、その気持ちが痛いほど分かります。幸せなことがあると「いま、この瞬間に死ぬことができたら幸せなまま死ねるのに」と考えてしまうのです。それは、「ただでさえ障害によって辛い経験も多いというのに、もう辛いことなんかこれ以上経験したくない」という思いからくる考えだったのかもしれません。

毎回のように辛い思いをしながらも私が『大恋愛』を観ることをやめなかったのは、どこかに救いを求めていたからかもしれません。お付き合いしている方に結婚の話を白紙にされ、好きな人との結婚がうまくいかずに辛い思いをしていた自分と尚さんとを重ね、少しでも救われたかったのだと思います。観ることを「やめなかった」のではなく、「やめられなかった」のです。しかし結局、テレビドラマはテレビドラマであって、『大恋愛』は完全オリジナルの脚本。あたり前なことですが、尚さんと私、真司さんと私の彼は違うのです。私はそのことに気づきながらも、自分自身を重ねずにはいられず救いを求めてドラマを観続けましたが、話が進むにつれてその現実が押し寄せてきました。特に、尚さんと真司さんが結婚することになったあたりからその現実に飲み込まれ、「尚さんとは違う人間の私は、この先どうなるんだろう」と悲観的に考え始めました。あまりの絶望感に泣いた日も少なくありません。ドラマを観ていないときでも、将来のことを考えては幸せが見えずに泣いたりしたほどです。

厳しい現実

前回書いたように、真司さんが何かしらの覚悟をしていたとしても、していなかったとしても、「これからもずっと尚さんと一緒にいる」という覚悟は最低限していたのではないかと思います。そうであってほしい。しかし、どうであれ真司さんは自分自身のコンプレックスからくる不安に勝てずに尚さんと別れることを選択し、一方的に離れて行ってしまう。私にとっては、ドラマの中の描写で病気のことを別れの理由にしなかったことが唯一の救いでしたが、本当のことは分かりません。自分のコンプレックスから自信をなくし、その上、相手は自分を忘れていく病気。「病気を患っている人(障害者)と結婚しても幸せになれない・できない」と考えるのも無理はないと思います。ドラマではなく現実でも、そう考える方は多いでしょう。厳しいですが、それが現実だと思います。障害者と結婚する「覚悟」だけではなく、自身のコンプレックスまで出てきたら、より結婚は遠のいてしまうのではないでしょうか。「(コンプレックスも含めて)あなたが好き」と伝えても、事態や考えが変わらないのであれば、もうお手上げ状態。障害者の恋愛はハードモードすぎやしませんか…?

正直、『大恋愛』を観ていたころのことは今でもあまり思い出したくない記憶です。それでも今回、こうして連載記事として当時のことを書こうと思ったのは、伝えたいことがあるからというのもありますが、自分と向き合うためでもありました。文章を書いている際に当時の感情や状況を思い出して辛くなるときもありましたが、書ききったことで少しの達成感を味わうことができました。この経験がなかったら、こうして記事を書くこともなかったかもしれません。人生、プラスマイナスゼロになるようにうまく調整されていくのかもしれませんね。

ライター:べるぎー