連載

なみの全盲ありのままライフ:見えているのも意外と不便?

夏の暑い日。汗だくで外から帰ってきて、「ああ、喉乾いたー」と冷蔵庫に直行し、冷たい麦茶を取り出して一気にゴクゴク。ああ!生き返ったー!!ってなるはずが…

それは麦茶ではなかった。麺つゆやーん!!という話をよく聞くのですが、経験あります?あるあるですよね。夏の定番。

で、それを聞いて思ったことがあるんです。今回はそんなお話です。

見ているから間違える

麦茶と麺つゆを間違える。それって本当?ネタじゃないの?経験してる人っているのかな?気になってネットで調べてみました。結構いらっしゃるようですね。「びっくりした」「パニックになった」という声がどんどん出てきます。そうだったのか…。疑ってすみません。

私、このあるあるを初めて聞いたとき、よくわからなかったんです。不思議だったんですよね。「においでわかるやん、においで!」って思ったんです。でもこういう間違いはよく起きているようで。いやあ、嫌ですよねー、麦茶を受け入れる気満々の身体に麺つゆって。想像しただけで悶絶しますね。

同じような話で、50円玉だと思って財布から取りだしたら100円玉だった、なんてことも聞きます。これを聞いたときも、正直「えーっ?」ってなりました。私も小銭を取り出すのは得意なほうじゃないけど、50円玉と100円玉を間違える可能性はかなり低いかと…。「穴でわかるやん、穴で!」と思ったんです。でもこういう間違いも意外と起きているようで。

麦茶と麺つゆ。50円玉と100円玉。見た目が似ているらしいですね。早く飲みたい。早く小銭を出さなきゃ。そんなときににおいや穴なんて気にしてられない。で、視覚情報だけでパッと判断して間違える、ということですよね。

人は五感から情報を得ているわけですが、一般的にその大部分が視覚から得る情報なのだそう。目の前にある物を判別するのに、見た目というのは重要なポイントになる。でもその分、視覚情報に惑わされて失敗する場合もあるというわけですね。

逆に私は視覚情報を全く得ていないので、ほかの感覚でそれを補っています。物の判別というのはなかなか大変な作業です。触った感じでゼリーだと思い込んで、蓋を開けたら納豆だった、みたいな事件も時々発生します。

だけど、少なくとも視覚情報に惑わされることはありません。そこは全盲の強みと言ってもいいのかも。見えているからこそある意味不便。そういうこともあるってことですね。

光が必要だから困る

見えているというのは不便なもの。実は、視覚障害者界の偉人・塙保己一もそんな発言をしているのだとか。

ある夏の夜、塙保己一が源氏物語の講義をしていたときのこと。突然風が吹いてきてローソクの火が消え、真っ暗闇になったんです。文字が読めなくなって慌てた弟子たちは、「しばらく待ってください」と声をかけました。すると保己一は冗談を言ったんですね。「目が見えるということは、私のように見えない者より何かと不便なものですな」と。

何か、いい話だと思いませんか?私にとって塙保己一は遠い存在の人だったけど、このエピソードを聞いてちょっと身近に感じられる気がしたんですよね。私には彼のような才能なんて全くない。でももしかしたら私は彼と同じような感覚を持っていると言ってもいいのかも?なんて勝手に親近感を覚えて喜んでしまったほどです。
(一緒にするなと言われるかもしれませんが)

「目が見えるということは不便なもの」って、核心をついた言葉ですよね。見えていない状態で生活していれば、突然光がなくなっても関係ない。真っ暗でも自由に動けます。これは全盲の強み。光を必要としないのであれば部屋で電気をつけずに過ごせるわけですが、これは電気代節約にもつながります。これって大きくないですか?

だから私はいつも真っ暗な部屋で過ごしています。家族のために電気をつけようなどとは考えず。真っ暗な中でお風呂なんかにも平気で入るから、時々びっくりされます。「わあ、いたの!?」って。それでも電気は絶対つけません。マイペースな私です。

「全盲ってなんて不便なんだろう」と嘆くこともしばしばだけど…
不便なことばかりというわけでもない。そんな気がしますね。

ライター:なみ