取材記事

SDGsの理念とともに、3Dモデルが切り拓く視覚障害者を取り残さない社会

サグラダ・ファミリアの3D模型

見えない人にとって触ることは知ることであり確かめること。しかし世の中には触って確認できないものもたくさんあります。そこで「視覚障害者が知りたいものをいつでもどこでも自由に手に入れ触れられる社会」を目標に、昨年11月あるプロジェクトがスタートしました。

大学や研究機関の研究者によって発足したそのプロジェクトは、視覚障害者や支援者のリクエストに応える形で建築物などの模型を提供するサービスを行っています。3Dプリンタで製作されるこの模型(呼び名は3Dモデル)には、プロジェクトの代表者である独立行政法人大学入試センター研究開発部准教授・南谷和範さんの積年の夢が詰まっています。

しっくりこないことも触ればわかる

南谷さんは先天性全盲であり視覚から知識や情報を得た経験がありません。一般に視覚障害者の困りごとと言えば、移動や読み書きが挙げられます。ですが南谷さんは、そういった個別の不便さとは違う次元で、視覚経験が無いことを基礎的な部分での大きな損失と捉えていました。

言語化された表現を理解する場合も、その背景に視覚経験にもとづいた知識とか体験があるのと無いのとでは、かなりの違いが生まれるのではないだろうか。

そんな南谷さんの考えを決定づける出来事が2019年4月に起こりました。ノートルダム大聖堂の火災です。当初は世間の注目度に疑問を感じていました。いくら有名な建物と言ってもそこまで騒ぎ立てるほどだろうか、と。ところが職場の3Dプリンタでノートルダム大聖堂の造形物を出力し触ってみたところ、なるほど、多くの人が歴史的建造物の消失を嘆く気持ちがわかりました。自分の手で触れて初めて実感できたのです。

同時に長年の思いが確信に変わった瞬間でもありました。南谷さんはすぐさま行動に移ります。国立研究開発法人・科学技術振興機構(通称JST)がおこなっていた研究費支援事業の「SDGsの達成に向けた共創的研究開発プログラム」に応募。見事採択され、有志とともにプロジェクトを始動させたのです。

利用者も一致協力して研究の進展を

冒頭でご紹介したプロジェクトの目標は、SDGsと同じく2030年を達成時期と定めています。実現に向けてさまざまな研究が進む中、現段階で中核とも言えるのが前述した3Dモデルの提供サービス。新潟大学工学部教授の渡辺哲也さんが対応にあたっています。

触りたいものがある場合、メールもしくはweb上の申込用フォームに必要事項を記入して依頼します。納品までの期間は半月から1ヶ月。おおよそ10数cm角サイズの3Dモデルを送付してもらえます。ただし3Dプリンタで立体造形物を出力するには、元となる3Dデータが必要です。今現在はプロジェクト側で3Dデータを作成することはできません。過去に製作した実績のあるもの、またはweb上にフリーでデータが公開されているもののみ提供可能となりますのであしからず。

実はこの製作作業、かなり手間暇がかかります。だからと言って依頼を遠慮してくださいというのではありません。むしろ依頼してもらうことで、サンプル数を増やし知見を得たいと考えています。例えば、どういう模型が視覚障害者にわかりやすいのか。どうすればわかりやすい模型ができるのか。また知識があっても工数がかかるこの製作作業を誰でも簡単にできるようにする方法はないのか、など。

視覚障害者の方はぜひ触ってみて、感想や自分なりの意見をフィードバックしてください。それが研究に繋がるかもしれないですし、素直な喜びの声なら研究者を勇気づけます。

視覚障害者が自分でできるのが重要

プロジェクトでは依頼を受けて3Dモデルを提供するだけでなく、将来的に視覚障害者が自分の家庭や職場で出力できるようにすることも課題にしています。今一般に販売されている3Dプリンタでは残念ながら誰でも簡単にというわけにはいきません。渡辺さんですら時間をかけて印刷したものが失敗に終わるケースもあるぐらいです。

南谷さんは大阪府立大学大学院工学研究科准教授の岩村雅一さんとともに、既存の3Dプリンタを改良する研究にも力をいれています。目指すは視覚障害者でも特別な知識がない人でも使いこなせる3Dプリンタの開発です。

研究課題はまだあります。それは、視覚障害者が自分の好きなデータを自分で作れるようにする研究。先ほど3Dデータがなければ3Dモデルは作れないと述べました。触りたいものがある、でもフリーの3Dデータはない。これではいつでもどこでも自由に触れる、とは言えません。この研究も大変重要な課題です。

最大の関門をクリアして目標とする社会へ

ここまでは既に着手している研究課題をご紹介してきました。しかしもうひとつ難題が残っています。それはどこかのタイミングで3Dモデル提供サービスの運用の転換を図ること。渡辺さんがひとりで対応している今のやり方から、全国規模の組織に引き継いでいく必要があるのです。

どういった組織にどのような協力要請をするのか、費用はどうするのか。今はJSTからの支援で研究費が出ていますが、ゆくゆくは利用者に負担してもらうことも検討すべきでしょう。また提供するのではなく図書館のように貸し出しにするとか、展示施設に来て触ってもらうとか。そうしたときに、有料だと諦める。あるいは出向いてまで触らなくていい、といった利用者側の熱量の変化も察知しなければなりません。

道のりは大変です。しかしその先には視覚障害者が今以上に社会と一体になれる未来が待っています。南谷さんが例に出して説明してくれた、東京オリンピック開催決定後に起こった新国立競技場建設問題。デザインと総工費をめぐる議論は国民の間でも大きな話題になりました。そのとき視覚障害者はその輪の中にいたでしょうか。デザイン案の適否について自分なりの意見を持つためには、実際のデザインを理解していることが不可欠だったでしょう。

プロジェクトが目指す社会ではそれが可能になります。3Dモデルが視覚障害者の世界を広げてくれるのですから。