連載

RPべるぎーの胸の内:障害者と恋愛(7)

突然ですが、みなさんに質問です。みなさんは、自分の病気や障害が理由で恋愛や結婚を諦めますか? 病気や障害がない方も、ぜひ一度考えてみてください。

ある日、私が設置している質問箱(質問を募集するサイト)に届いた「恋愛や結婚について考えた時、病気が理由で諦めることはありますか?」という質問。この質問をいただいたとき、私の中ですでに答えは決まっているつもりでした。しかし、私はこの質問によって恋愛観や結婚観について改めて考えさせられることになったのでした。

今回は、いただいた質問に対する回答の続きと、質問をいただいてから考えたことについて書かせていただきます。

私の出した答え(後半)

「結婚することが幸せ」という風潮はありつつも、「恋愛や結婚をすることが幸せなのか」という意見を持つ方もいらっしゃると思います。私も「恋愛や結婚がすべて」だとは思いませんし、どちらかと言えば後者寄りの意見です。しかし、視覚障害のある私も人並みに恋愛をして結婚もして子どもを授かりたいと思っていますし、どうしたらその希望を叶えることができるかを考えています。ある方との結婚を諦めた私も、「結婚」というものまでは、なんとなくまだ諦めることができていません。性格や人格的に結婚不適合者でない限り、私は結婚することを諦められないのではないかと思います。そしてやっぱり、私は恋愛も結婚も病気のせいで諦めたくはありません。悔しいじゃないですか、病気のせいで何かを諦めるのって。病気のせいでやりたいことを奪われるのは、もうこりごり、勘弁してくださいって感じです(笑)。病気のせいで何かを諦めざるを得なかった方には、この気持ちがお分かりいただけるでしょうか。病気や障害のせいで諦めることに慣れてしまえば傷は浅いですが、慣れてしまうことは悲しいことでもあります。

以前も書いたように、障害(病気)の有無で幸せになって良い、悪いは決まらないと思いますし、私は夢も幸せも病気のせいで諦めたくはないです。欲張りで自己中心的な考えだと思われるかもしれません。でも、これが「私」なのです。「傷つきたくない」という気持ちも大切だと思います。その気持ちから恋愛や結婚を諦める方もいらっしゃるでしょう。その道を選んだとしても、それは自分を守るために必要で大切な時間だと思いますので、思いっきり自分を大切にしてあげてほしいです。私も結婚を白紙に戻され、ここ数年間は現実から目を背けて逃げて自分を守ってきましたが、それは自分と向き合う上で大切な時間だったと思います。結婚の話が白紙に戻されてから数年経ちますが、やっと動き出せる気がします。これからは、素敵な方に見合うような私なりの素敵なレディを目指したいと思います!

人生ハードモードすぎない…?

質問に対する私なりの回答ができたところで、質問をいただいてから考えたことを少し書かせていただきます。質問箱に質問をいただいたときは、自分がどう思うかだけを考えていました。しかし、自分のことを考えているうちに、「恋愛・結婚相手がどうこう以前に『病気があるから恋愛や結婚は諦めよう』と思う方がいるのは、どうしてなのかな」とも考えるようになりました。諦めようと思うのは、病気や障害がある方の恋愛や結婚は現実的ではなかったり、厳しかったり、難しかったりするからでしょうか。「人に迷惑をかけたくない」「傷つきたくない」という気持ちもあるかもしれません。前述の通り、そういった気持ちも大切だと思います。特に「傷つきたくない」という気持ちは、自分を守るためにも大切にしてほしい気持ちです。しかし、こう思わせてくる病気や障害は私たちにどれだけのハンデや心の傷を負わせたいのでしょう。私は障害によって辛いことが起きるたびにそう考えてしまいます。障害や病気があることは悪ではありませんが、障害者の人生はハードモードもいいところと思うのは私だけでしょうか……。

健常者と障害者の恋愛は、どうして乗り越えなければならない壁が多いのでしょう。これは「障害者と恋愛シリーズ」を書いてきた私の率直な感想です。しかし、この感想は『美丘』を初めて観たときから変わっていません。障害者の恋愛ものを観るたび、恋愛をするにあたって自分の障害がネックになるたびにそう思ってきました。結婚を白紙に戻された経験によって、むしろより強くそう感じるようになったかもしれません。でも、私の中でずっと答えは出ないままです。障害者が感じるハンデがそのまま影響していると言えばそうかもしれませんが、それだけではないような気がするのです。また、もし今の病気の治療法が確立して私が視覚障害者でなくなる日が来たとしても、障害者でなくなる日が来るかは分かりません。別の病気になる可能性だってあります。私がその答えを見つけるには、まだまだ時間がかかりそうです。

ライター:べるぎー