連載

RPべるぎーの胸の内:障害者と恋愛(9)

私は中途視覚障害者であり、ロービジョン(全盲ではなく弱視)の視覚障害者です。小学校から大学まで一般校に通っており、盲学校に通った経験はありません。したがって、私の恋愛対象は自然と健常者でした。とはいっても、小学校では障害児のみの学級もありましたし、聴覚障害者の子も同学年に2人いました。当時は自分が視覚障害者であることは分かっていませんでしたが、障害の有無関係なく仲良くさせてもらっていましたし、障害者にまったく接してこなかった人生ではないと思っています。ただし、視覚障害者の方とは、幼いころから街で見かけるくらいの距離感でした。近所に全盲の視覚障害者のお姉さんは住んでいましたが、お互いの引っ越しで疎遠になり、風のうわさで近況を耳にするくらいでした。そして、小学校を卒業したあとは親しくする障害者は私の周りからいなくなりました。

こうした経緯から、今回まで「健常者と障害者の恋愛」にフォーカスを絞って書かせていただいてきましたが、ここで自分の恋愛・結婚相手も障害者だったら、つまり「障害者と障害者の恋愛」についても考えてみようと思います。もし、自分よりも重い障害を持つ方に好意を寄せられたら……。

障害者と障害者の恋愛

私より重い障害というと、全盲の方が一番分かりやすい例になると思います。全盲の方とお付き合いできるかと聞かれれば、答えは「Yes」です。その方の人間性に魅力を感じることができれば、お相手が全盲の方だろうと関係ないです。たとえ寝たきりの方だったとしても、お相手に魅力を感じれば、結婚まで考えることはできます。「障害者」が足かせになることはありません。お互い視覚障害者のカップルで大変なことが増えるとしても、一緒にお互いを支え合っていきたいと思えるかが大切だと思います。そして、それは私自身が障害者だからではなく、私が健常者だったとしても相手の人間性を見たい、結婚するならお互いを支え合える人としたいと願うからです。

しかし、それはきれいごとかもしれません。実際に体験しないと、本当のことは分からないですし、何が起きるのかも分かりません。私は良くても、お相手のご家族はどう思うでしょうか。好きな気持ちだけでは乗り越えられないことも出てくるかもしれません。実際のことは体験した方にしか分かりませんし、人や環境、障害の重さによっても状況は変わってくるでしょう。だからこそ私は、障害など関係なく人間性を大切にしたいです。

最後に

今回まで「障害者と恋愛」シリーズでは、私が障害者として感じている「恋愛に対するコンプレックス」から生まれた思いや考え、私の恋愛経験を書かせていただいてきました。記事を書いているうちに、私の中でコンプレックスが大きくなるのと比例するように私の思いや考えは増え続け、その間にポジティブにもネガティブにもなりながら、ときには拗らせながらも(笑)書き続けたことで、9回まで続く連載となりました。

今回まで書かせていただいてきた中で、1つ私の中で答えが出たような気がします。それは、「結婚相手が障害者だと『一生養って介護して看取る覚悟』を意識してしまうのは、固定概念があるからなのかもしれない」ということです。以前にも書いた通り、このような覚悟は障害者自身は求めていないことが多く、どちらかと言えば障害者の家族や友人など、周囲の人たちが求めている、あるいは求めたい覚悟ではないでしょうか。自分の子どもが障害者なら、子どもの結婚相手に求めるものも大きくなることが考えられますし、今までの記事で触れてきたドラマや小説などフィクションの世界でも、このような覚悟を表す描写がたくさんあります。そして、近親者だけではなく、ご近所の目や世の中の風潮など、世間もそういう覚悟を無意識の中で求めている。したがって、そういう環境で育つと「一生養って介護して看取る覚悟をするべき」という固定観念が、気がつかないうちに生まれて記憶に刻まれてしまう可能性があります。その固定概念に縛られて苦しい決断を迫られているのかもしれないと、このシリーズを書いてきた約半年の間に考えるようになりました。ただ障害者(受け身)側としてだけではなく、たとえ想像だったとしても健常者側の気持ちに近づけたことは、このシリーズを書いてきた意味の1つになったと思います。

今年の2月から連載テーマとしてきた「障害者と恋愛」は、今回で終了となり、私の「ミルクフ」での連載も、今回の記事をもって終了となります。しかし、私にとって「障害者と恋愛」は永遠のテーマになるような気がしています。障害者の恋愛をテーマとしたドラマや映画の中で、まだ観ることができていない作品もありますし、これから更なる試練が待ち受けているかもしれません。影響を受けやすい体質なので、そのたびに私の考えが更新されていく可能性もあります(笑)。そのときはまた、私の考えを何かの形で書くことができればいいなと思います。そして、もし私の考えが更新されていったとしても、「視覚障害者だから」と弱気になったり、自分を卑下することはせずに生きていきたいです。長い間、お付き合いいただきありがとうございました。

ライター:べるぎー