連載

RPべるぎーの胸の内:障害者と恋愛(5)

”私が障害者じゃなかったら、彼に好かれていなかったかもしれないなんて、皮肉なものね”

これは以前、私がツイッターでつぶやいた言葉です。結婚の話を白紙に戻され、ふさぎ込み何もやる気になれずにいたころにつぶやいた私の本音です。
前回の記事の中で、結婚の話を白紙にされた経験があることを書きました。今回は、どんな経緯で結婚の話が白紙になったのかについて、当時の私のツイートを引用し振り返りつつ書かせていただきます。

私の望む幸せな家庭

”私の家みたいな家庭環境で育って、なおかつ視覚障害もあって将来失明する可能性もある私なんかが、「好きな人と結婚したい」「幸せになりたい」なんて望んじゃいけなかったんだ…ごめんなさい…”

私が育った家庭環境は、「良い」とは言いがたいものでした。よそから見たら仲良し家族だったのかもしれませんが、精神的虐待とも受け取れるようなことをたくさん経験してきました。夫婦喧嘩も日常茶飯事で、一人っ子の私は両親の喧嘩が終わるのを一人で静かに待っているような子ども時代でした。それに比べて周りの友人たちは家族の仲が良く、裕福なご家庭も多かったため、羨ましいなと思いながら育ちました。「家族の仲が良ければ」と、一番強く思ったのは友人の結婚式に出席したときかもしれません。「私にはこんな幸せそうな結婚式はできない」と思ったのです。「(私の)両親を家族にするなんて相手に申し訳ない」と思ったこともあります。そう思ってしまうほど、私は「家族」というものに対してコンプレックスを抱いているのかもしれません。このように、ただでさえ家族の問題があるというのに、それに加えて失明する可能性のある視覚障害まで……。そう思ったときにツイートしたのが、上記の言葉でした。

そのツイートに対し、とてもありがたいことにフォロワーの方々から温かいリプライをいただきました。いただいたリプライには肯定的な言葉ばかり並んでいて、私自身とても救われました。障害の有無で幸せになって良い悪いは決まらないですし、幸せになる権利は誰にでもあることは頭では分かっているつもりです。でも、相手(好きな人)が自分を受け入れてくれるかどうかは別の話なのです。

彼の答え

”彼は今の私を愛してくれているし、一時期は一緒に人生を歩む話もしたけれど、やっぱり彼は不安のよう。不安なのは障害のせいではないと言ってくれるけれど、突き詰めていけば私に障害が無ければ考えなくて良いことに不安を感じていて。結局、障害のせいじゃないか……。でも、「私に障害が無ければ今の私は存在しないかもしれないから好きになったか分からない」と言われてしまうと、複雑な気持ち”

彼からプロポーズをされた直後、障害に対する私の心の弱さが出てしまいました。子供に遺伝したら?将来、失明したら?親が視覚障害者で虐められたりしない?そんな不安を、私の弱さを、彼に打ち明けてしまったのです。すると彼は「そんな可能性など全然考えられていなかった」と猛反省。そこから一気に結婚に対して消極的になりました。どうしたら乗り越えられるのか彼と前向きに話し合いたいのに、彼は逃げてばかりで「結婚は考えられない」の一点張り。そのあとも「子どもは欲しいけど私と結婚するなら子どもは諦めないといけない」と思いつつ、「でも子どもは欲しい」と彼の中で堂々巡りでした。

”子どもを諦める理由としては、病気が遺伝するかもしれないこと、たとえ遺伝しなくても遺伝の可能性があるのになぜ産んだのか責められるのが怖い、子供に責められて私が傷つくのを見ていられない、母親が全盲だと虐められるかもしれない”

彼が話してくれた「彼が私との子どもを諦める理由」です。私が彼に話したことも含まれていますが、こうして書き出してみても彼の優しさと弱さが混在する理由だなと思います。こういう話は「遺伝する可能性がある病気を患っている人」が経験する、よくある話なのでしょうか……。

「障害」

「障害」があるから乗り越える壁や問題が多くなる。でも、「障害」がなければ今の私は形成されていない。やっかいなことを次から次へと運んでくる「障害」も、私を形成する大切な一部なのです。それを分かった上でお付き合いしていたはずなのに、ふたを開けてみたら「やっぱり無理」なんて残酷ですよね。もしかしたら、そこに「障害者と恋愛をする覚悟」が潜んでいるのかもしれませんね。

ライター:べるぎー