取材記事

進化する視覚障害者の衝突回避システム ~安全かつ快適なひとり歩きに期待膨らむ~

早稲田大学・大学院博士課程1年の粥川青汰さんに、最新の視覚障害者歩行支援システムに関する研究のお話を伺いました。そこから見えてきたのは、空港・主要駅周辺・ショッピングモールなどの公共空間をひとりで自由に移動できる未来です。

晴眼者はどのように人を避けて歩くのか

粥川さんの研究に関しては、以前B Beep(ビービープ)をご紹介しました。(※2019年10月18日掲載記事・若き才能が取り組むアクセシビリティ研究に、視覚障害者の立場ですべきこと)。視覚障害者が接近していることを周囲に音で知らせて進路を譲ってもらうシステムです。

B Beepの考え方は、視覚障害者が苦労して人を避けるより、見えてる人に避けてもらうほうが視覚障害者の負担が少ないだろう、というものでした。しかし公共空間にいる人たちが必ずしもすぐにその場から移動できるとは限りません。大きな荷物を抱えている、案内板などを読んでいる、高齢で俊敏な動きができないなど、それぞれの事情でそこに留まっています。

B Beepでの衝突回避に一定の有用性を感じつつも、さらに研究を進めていった粥川さん。インターン先であるIBM東京基礎研究所の方々のサポートを受けて、晴眼者が人を避けながら歩くパターンについて検討しました。

既存の研究では、障害物を避けるときに視覚障害者に方向を変えさせるのが一般的でした。しかし自分の進路の延長線上に向かってくる歩行者は、少し待てば通り過ぎます。そのとき晴眼者は衝突をさけるために歩行速度を調整し、わざわざ方向を変えたりはしません。今回の研究は衝突せずに歩行する方法として、主に「周囲を退かす」「方向を変える」「速度を変える」の3つの行動があるという考えからスタートしました。

インタラクション2020での発表内容

粥川さんがHCI分野における国内最大の学術会議「インタラクション2020」で発表した論文タイトルは「歩行者の動きの解析と衝突予測に基づく公共空間における視覚障害者向け歩行支援システム」ですが、長いのでここでは本研究とします。

本研究で製作された装置は、前述のB Beepと同様スーツケース型システムです。大きな特徴は、オンパスモードとオフパスモードの2種類を使い分けること。オンパスモードは、ユーザー(視覚障害者)の進路の先を横切ろうとする人がいた場合に、ユーザー自身に減速または停止を促します。安全が確認できたらユーザーは通常の速度で歩行を続けます。オフパスモードは、ユーザーの進路の先に停止した人物や障害物がある場合に、指示を出して適切な迂回経路を提案します。提案経路にしたがって進むと、また元の経路に戻るようになります。

本研究が画期的なのは、オンパスモードをメインに使用し自分が想定した経路を外れることなく移動できること。視覚障害者にとってリスクの高い方向転換を無闇に行う必要がありません。

新発想・触覚デバイスのレバー

オンパスモードの考え方ともうひとつ、本研究の新しい試みに触覚デバイスのレバーがあります。これまでも視覚障害者の歩行支援システムでは情報伝達手段として音声や触覚が使われてきました。しかし衝突回避システムに触覚デバイスが採用されたケースはあまり例がありません。

本研究では音声と触覚の両方をシステムに実装して検証をおこなっています。結論から言えば、実験に参加された視覚障害者の方からは、外部の環境音を聞きながら移動できる触覚デバイスに高評価が集まりました。

視覚障害者であるユーザーが、実験でどのように本研究のシステムを使用し、どのように歩いたのかを、簡単にご紹介します。

まず設定された進路をオンパスモードで移動します。前を横切ろうとする人がいる場合、音声ならビープ音、触覚ならスーツケースのハンドルの下に取り付けられたレバーが振動してユーザーに警告します。ユーザーは警告を感知して減速または停止します。次に進路の先に止まって背を向けている人がいた場合、先ほどとは違う種類の音声あるいは振動パターンで警告します。ユーザーがボタン操作でオフパスモードに切り替えると、音声なら「右へ・左へ・直進」の指示、触覚ならレバーの角度が変わり、進むべき方向を指し示してくれます。

実験の結果、オンパスモードのときの振動は床面の材質によって感知しにくいという問題が判明しましたが、オフパスモードのレバーが左右に角度を変える仕様では、その向きに合わせてスーツケースを水平になるようにすればそれにしたがって進むだけなので、とてもわかりやすいようです。

研究と製品化の違いを理解した上で期待を

以上のように本研究では、晴眼者が公共空間で人を避けながら歩くのと同じ行動パターンで視覚障害者が安全かつ快適なひとり歩きができることを目指しています。ではいつ頃実用化されるのでしょうか。

こればっかりは粥川さんにもわかりません。研究者の立場としては、資金力や製造技術が揃った企業に製品化してもらえるのを願うばかりです。

ですが、ただの夢物語というわけではありません。B Beepが海外で高い評価を受けたように本研究も世界から注目を集める可能性は十分あるでしょう。そうなれば製品化を希望する企業が現れるかもしれません。もちろん国内でも、粥川さんがインターンで通う日本IBMが、複数の企業と合同で視覚障害者用のAIスーツケースの開発を発表しました。ここに本研究の技術が組み込まれる可能性もあり得ます。

なおスーツケースではなく、もっと軽量で持ち運びやすい形状を求める意見があるのも承知しています。それに関してはどのように進化していくのか、期待を込めて待ちましょう。本研究の詳細をお知りになりたい方は、以下の論文ならびに発表動画をご覧ください。