取材記事

視覚障害者の「できない」という思い込みを覆したマジック界の革命児

「見えないからできない」
視覚障害者に対して多くの人が持っている固定観念。ともすると当事者自身が一番その呪縛にとらわれているかもしれません。しかしそんな考えを一笑に付す人物がいます。マジシャンとして輝かしい経歴を誇り北九州でマジックバー「超常現象折尾ステーション」を経営する馬場宏さん。ステージでの名前をライヴと言います。

指を鳴らす仕草のライヴさん

ライヴさんの辞書に「障害者だから不可能」という文字はなさそうです。平然と「全盲の人だって練習すればマジックはできますよ」と言い切ります。もちろん口先だけではありません。証明してみせた物語があるのです。

きっかけとなる出会い

今から30年ほど前。ライヴさんがとあるショッピングモールでマジックショーをしていたときのこと。 観客の中にひとりの男の子を見つけました。男の子は隣にいたお母さんから説明を受けながらマジックを楽しんでいます。ショーが終わったあとライヴさんは男の子に近づいていき、使っていない新品のカードにサインをして差し出しました。

ところがお母さんは「いりません」と拒絶します。「いえ、差し上げます」と渡そうとするもやはり断られます。どうやら男の子は目が見えないらしく、もらっても使えない、というのが理由でした。ただライヴさんはステージ上で何となくそれは感じていました。そこで「使えますよ」と言って男の子の手を引くと「20分だけ時間をください」とお母さんに告げて控室に消えていきました。トランプもマジックも知らない全盲の男の子にカードマジックを教えたのです。

20分後お母さんの前で男の子はマジックを披露しました。お母さんに引いてもらったカードを見事当てたのです。満足げな男の子。その姿に涙するお母さん。ライヴさんが涙のわけを尋ねると「この子のこんなに誇らしげな顔を見たのは初めてです」と喜ばれました。今も覚えている光景です。

世界初のマジックショーを発案

全盲の男の子と出会って以来ライヴさんはときどき障害者にカードやコインの小ネタを教えるようになりました。と同時に、マジシャンとしてのキャリアも着実に築きあげていきます。50歳でおこなった30周年の記念のショーは大成功。達成感に浸れるかと思いきや心に小さな引っかかりを覚えました。

その原因は自分のためのショーしかやってこなかったことにありました。障害者の人たちに教えてきたのに彼らが主役になるショーをやったことがないと気付いたのです。すぐに顔見知りの視覚障害者・Aさんに話を持ちかけます。「みんなでマジックショーをしない?」。

そこからの行動は早く、自分が決めて引っ張っていくんだという意気込みで、800人を収容できる会場「ウェルとばた大ホール」を押さえてしまいました。障害者の人たちは「えー、できない」と不安げでしたが躊躇する隙を与えずとにもかくにも練習を開始します。目指すは世界初、障害者だけのマジックショー。

集まったのは「みんなの職場研究会」のメンバーを中心とするさまざまな障害を抱える人たちでした。全盲のAさんにはロープのマジックを教えます。有名マジシャンのセロさんが世界大会で優勝したときのルーティンのひとつ。ライヴさんは二人羽織のようにしてAさんに教えます。同様に11人全員がステージに立てるよう個別に指導していきました。

全盲、弱視、精神疾患、車椅子、片麻痺、難病ALS、難病PLS。はたして無事マジックを習得できるのでしょうか。

障害が武器になる

1ヶ月後。2回目の全体練習の日。家での練習の成果を確認するためにひとりづつやってもらいます。全盲のAさんはまったくできるようになっていませんでした。「ちゃんと練習した?」ライヴさんは尋ねます。「練習はした。でも無理、難しくてできない。」それがAさんの答えでした。

しかしライヴさんはすぐに嘘だとわかりました。真剣に1ヵ月間練習すればロープは手垢でボロボロになります。でもAさんのロープはまっさらなままでした。

ライヴさんはみんなに語りかけます。「俺のためにやるんじゃない。障害を持ってるみんながやることに意味がある」。ライヴさんの頭には、お母さんの前でカードマジックを成功させた男の子の誇らしげな顔が浮かんでいました。

「みんなは自分の障害をどう思ってる?プロがマジックをやると観客は感心して終わる。アマチュアの人がやると称賛して終わる。でも障害者は観客に感動を与えられるんだよ。自分の障害を武器だと思ったことある?これは武器なんだ。誇らしく思って欲しい」。

そこから10ヵ月にわたる障害者マジシャンたちの猛練習が始まりました。

ハートの強さが成功の鍵

2017年10月28日、いよいよ本番です。ショーの名前は「ザ・チャレンジ」。名付け親は障害者団体「みんなの職場研究会」の代表の方。はじめライヴさんはこの名前を気に入ってませんでした。いかにもという感じがするしもっとカッコいい名前にしたかったから。

ところが開演の準備の最中、手伝ってくれている女性スタッフのNさんが「わたしにとってもこんなこと初めてだしチャレンジだね」と言いました。「そうか。俺にともってもチャレンジなんだ」。すごく腑に落ちた気がして急にその名前が好きになりました。

結果、世界で初めての障害者によるマジックショーは拍手喝采で幕を閉じます。最後みんながステージで合唱している姿を見てライヴさんはひとり袖で泣いていました。成功による安堵の涙ではありません。障害者のハートの強さに感動したのです。

臆することなく力を出し切った出演者たち。彼らは日常生活の中で好奇の目や冷たい視線に晒されることもあるでしょう。それを乗り越えているからこそ800人もの観客を前にしても堂々としていられるんだ。そう学びました。

障害者によるマジックショー「ザ・チャレンジ」のフィナーレの様子

あれから3年。ライヴさんは多忙を極めています。お店は常に1,2ヶ月先まで予約が入る盛況ぶり。その上新たな仕事にもチャレンジするらしく…。今後ライヴさんのイリュージョンを見られる機会は減るかもしれませんが、ご覧になりたいかたはぜひお問い合わせを。