取材記事

障害者福祉一筋で作り上げてきたもの -日本ライトハウス・岡田弥氏-

見えない・見えにくい人にとって頼れる存在の視覚障害者福祉施設。その草分けとも言える日本ライトハウスが、2022年に100周年を迎えられます。故・岩橋武夫氏によって創設されて以来、多くの職員の方やボランティアの方が視覚障害者支援に尽力してこられました。

日本ライトハウス情報文化センター・サービス部長の岡田弥(おかだあまね)さんも障害者支援に大きな貢献をしてこられた人物です。

人生を決定づけた大学時代の友

日本ライトハウス100周年の記念の年に入職30年となる岡田さん。約20人の職員さんが所属する組織の責任者として、現在も視覚障害者支援の第一線で活躍されています。

視覚障害者支援に携わるようになったのはたまたまでした。京都大学入学後、点訳サークルに入ったのがきっかけです。当時京大の学内には点字使用者がいなかったのですが、岡田さんが3回生になったとき、全盲の新入生が入学してきました。多くの研究と著書で知られる国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんです。

2人は何をするにも一緒でした。岡田さんは、学校からほど近い広瀬さんの下宿部屋に入り浸り、連れ立ってはボウリングやバッティングセンター、パチンコなど、普通の大学生と変わらない遊びをしていました。

大学院の修士課程で子どもの発達心理などを学んだ岡田さん。障害児に関わる仕事をしたいと思う一方、広瀬さんの影響で視覚障害者支援の仕事も頭をよぎります。ここでもうひとつのたまたまが。ちょうどその頃、日本ライトハウスのリハビリテーションセンターが新しくなったタイミングでした。求人も多く、何かの縁だと考えてこの道に進むことになったのです。

リハビリテーションセンター内のパソコン先生

入職後、最初の仕事は点字学習の指導でした。しかし中途失明の方にとって点字の習得は大変困難です。そんな時、声でパソコンを使える音声合成装置が登場しました。まだWindows以前の頃で、周辺装置一式を揃えると60万ほどもしましたが、岡田さんがこれを紹介すると点字に代わる読み書きのツールとしてたちまち大人気に。文学部出身で特段パソコンに詳しかったわけではない岡田さんが、一躍パソコンの大先生になっていったのです。

それでも当時は点字を学びタイプライターを打てるようになるのが大前提。できた人がパソコンを練習する、という流れでした。これに疑問を抱いた岡田さんは改革していきます。本人の意思で点字を覚えたい人以外は、パソコン学習を優先していったのです。

思い切って変革したのはなぜでしょうか。インターネットより前、パソコン通信と呼ばれていた時代。パソコン先生になってしまった岡田さんは、わからないことを掲示板で質問していました。そこによく回答をくれる人が実は視覚障害者だったのです。後からそれを知った岡田さんは、ネット空間では視覚障害者か晴眼者か、どんな立場の人なのか、そんなことは関係なく、その人の発言や能力こそが重要なのだ、と気付かされました。

ゼロから築いていったエンジョイ!グッズサロン

2001年、ついに情報文化センター内にエンジョイ!グッズサロン(現在の用具・機器の取扱いエリア)が誕生しました。その背景には2つの問題がありました。

①パソコンを欲しがる人が多く、岡田さんをはじめとする職員数名が休日返上で視覚障害者のパソコン購入や設置をサポートしていた。

②常設展示がなかったため、今の日本ライトハウス展の前身である福祉機器展に人が殺到し、落ち着いて見れる状態でなかった。

この問題をを解決する目的で、常設展示とパソコンサポートの部署を設立することになったのです。その立ち上げ要員として岡田さんも異動してきました。最初はただ部屋を用意しただけで何もない状態。そこから、常設する機器を揃え、パソコンのサポートボランティアの講習をし、視覚障害者者向けの講習の礎を作ってきました。また視覚障害者向けの講習は、当事者が講師をすることもできるのではないかと考え、その仕組みも構築していきました。

今では常識と思われているいろんな視覚障害者支援のサービスが、実は何もないところから岡田さんたち障害者福祉に携わる方々によって築いてこられたのです。

これからの障害者福祉に対する思い

さまざまな新しい取組みに挑戦してきた岡田さんの次なる試み。それは、昨年テスト的におこなった遠隔操作でのパソコン講習。支援組織が各地で充実してきたとはいえ、地方にはまだ必要なサービスが行き届いていないところもあります。また、仕事をしながらパソコン講習を受けたい人は時間的な制約もあるでしょう。あらゆる理由で支援を受ける機会を逃している人たちに、適切なサービスを届けたいと考えています。

さらに岡田さんが見据えるその先の未来。支援機器がニーズにマッチした製品になるよう評価判定の道すじをつくりたい。一部の積極的な視覚障害者だけの声を聞いて開発された製品が、多くの視覚障害者には使えない、という残念な問題が時々起きています。岡田さんの考えが実現すれば、開発する側も支援機器を必要とする側も幸せになれるのではないでしょうか。

現在55歳の岡田さんはあと5年で定年を迎えます。これまで数々の実績を残しつつも、ご本人は日本ライトハウスという看板のおかげ。ひとりでやれることなんてたかが知れている、と謙遜されます。それでも個人でやれることを模索したいとの思いもあります。突然視力を失い、失意の中で電話をかけてきた相談者に、来館を促すのは正しい対応なのか。来たくても来れない方もいるはず。そういう方に手を差し伸べられる福祉を目指したい、と語ってくれました。

ひとりの力は小さいかもしれません。しかし岡田さんには圧倒的な人脈があります。間違いなく岡田さんが何か行動するときには、多くの人が力になってくれるでしょう。障害者福祉の世界はこれからも岡田さんを必要としています。