取材記事

アール・ブリュットの魅力を日本中へ届けたい ~盲女美術家SACHIKO~

ベートーヴェンはすごいですね。20代後半で耳が聞こえなくなってからも数々の名曲を生み出しました。トム・クルーズはディスクレシア(文字の読み書きが困難な学習障害)でありながら周囲の協力で台本を覚えスターになりました。

目が見えない見えにくい人の中にも絵を描いてる人はたくさんいます。アール・ブリュットという言葉をご存知でしょうか?美術の専門教育を受けていないアーティストのことで必ずしも障害がある芸術家に限定するのではないものの、精神・知的・視覚などに障害がある人を指すことが多いようです。

そのアール・ブリュットの絵画展を横浜で開いている鈴木佐知子さん。ご自身は美術系の専攻で大学院まで出られた、いわば本流に身を置くアーティストです。にもかかわらずアール・ブリュットに力を入れているのはなぜでしょう。いろいろと伺ってみました。

ずっとアートの世界で

デザイナー・美術教師・造形作家。多彩な顔を持つ鈴木さん。現在は実業家としてもご活躍中です。ヨコハマSASユニバーサルデザイン研究室の代表を務め、ユニバーサルデザインの商品やサービスの開発・リサーチ・コンサルティング、その他研修や指導などを行っています。

いくつもの事業を展開する中で今もっとも注力しているのが展示会の企画・運営。「盲女美術家SACHIKOのスーパーかわいい絵画展」。これが鈴木さんの主催するアール・ブリュット絵画展です。盲女美術家SACHIKOとは鈴木さんのアーティスト名。そう、彼女は盲目の美術家なんです。厳密には全盲ではなくほんの僅か見えてるそうですが。

大学院ではデザイン教育を専攻。卒業後はグラフィックデザインの仕事に携わり、結婚出産を経て美術教師に転身。その間も造形作家としてさまざまな技法による作品を発表し続けるなどずっとアートの世界に生きてきました。

順風満帆だった鈴木さんの人生に影を落としたのは進行性の目の病。徐々に見えづらくなっていく日々。美術家にとって耐え難い苦しみだったのではないでしょうか。それでもこれまでを振り返って、教員時代、そして研究室を立ち上げるきっかけ、アール・ブリュット絵画展への想いなどを明るく語ってくれました。

身近な困った人を助ける教育

中学の教員時代、鈴木さんの目の病気はかなり進んでいました。そこで入学式などの際、自ら体育館の舞台に上がり、見え方の説明やサポートのお願いをしました。生徒、保護者(PTA)、同僚の教員、横浜市教育委員会。周囲はとても協力的でした。中学生と言えば多感な時期。先生のサポートってちょっと恥ずかしいのかなと思いきや、みんな素直で可愛いんです。

職員室から美術教室までの移動は手引が必要です。前もってその役割を決めるのですが、やりたいと手を挙げる生徒が大勢いました。授業の途中で鈴木さんが忘れ物に気付いたときも。職員室まで取りに戻る付き添いをやりたがる生徒たち。「授業さぼりたいだけでしょう」と言いながら鈴木さんは嬉しさでいっぱいでした。

授業中の突発的な移動には別のクラスのやんちゃな生徒も助けてくれました。いわゆる不良っぽい子たち。授業を抜け出し廊下でたむろしてても鈴木さんのサポートはやってくれます。彼らも教師から「鈴木先生喜んでたよ」って伝え聞くと嬉しそうにするのだとか。

障害者支援を難しく考えすぎない。生徒さんたちの行動が教えてくれている気がします。

衝撃のソースの容器

美術の授業では彫刻刀やペンチを使用することがあります。今の状態で生徒や自分の安全を担保できるだろうか。鈴木さんは教師を続けるためにも休暇を取って自立訓練の施設に入ることにしました。

その初日。施設の食堂でテーブルの上のソースと醤油の説明を受けました。容器は同じもの。輪ゴムを巻いているのがソースですよ、と。鈴木さんはこれをとても悲しく感じました。自分でできることを増やしたい。ワクワクした気持ちで行った視覚障害者用の施設で使われているものがユニバーサルデザインではなかったのです。

食堂のかたも指導してくれる先生もとても優しく、訓練の成果もあったという鈴木さん。ただソースの入れ物がショックでした。「自分はモノの色や形に敏感なんだと思う。ほかの人は何とも思っていなかったから」。たしかに筆者なら「わかりやすいように輪ゴムを巻いてくれてるなんて配慮が行き届いてる」と思ったでしょう。

でも鈴木さんのようなかたがいるおかげで世の中には新しいモノ、新しい発想が生まれるのかもしれません。

アール・ブリュットを知って欲しい

自立訓練施設での出来事がきっかけとなり立ち上げたヨコハマSASユニバーサルデザイン研究室。UD製品の普及啓発事業に始まり、「紙製ユニバーサルカトラリー」「視覚障害者のための仕掛け絵本」の開発、さらには展示会の企画・運営へと事業の幅を広げています。アール・ブリュット絵画展もそのひとつ。鈴木さんが作品募集をしたところ、たくさんのかたから応募がありました。最初の年、2018年には横浜赤レンガ倉庫・あおばのギャラリー・パシフィコ横浜で開催。約60人のアーティストが参加し100点以上の作品が公開されました。

「盲女美術家SACHIKOのスーパーかわいい絵画展」のスーパーかわいいという表現には、アール・ブリュットたちの作品に対する率直でピュアな姿勢や思い、それに温かみのあるモチーフという意味が込められています。

作品はその場で販売もしており、ひとり暮らしのお部屋にも飾りやすい小さなサイズに統一。価格設定も良心的です。障害のあるアーティストさんはふだん低賃金で働いてるかたが多く、鈴木さんとしてもできるだけ高くしたいのですが。本当に絵が好きな人に買って欲しい。そんな気持ちからアーティストさんには申し訳ないと思いつつ安くしてもらっています。

この絵画展から人気になるアーティストさんが出たり、雑誌の挿絵の仕事なんかに繋がったらいいなと願っている鈴木さん。地元横浜以外にもこの活動を広げていきたいと考えています。一緒に盛り上げたい!というみなさん。ぜひ盲女美術家SACHIKOさんをご支援ください。