取材記事

若き才能が取り組むアクセシビリティ研究に、視覚障害者の立場ですべきこと

B Beep(ビービープ)

ヒューマンコンピュータインタラクション(以下、HCI)という言葉をご存知でしょうか? 人とコンピュータの相互作用を考える研究のことで、このHCIの中にはさまざまな分野があります。アクセシビリティと呼ばれる、コンピュータの力を使って障害者を助けようとする研究もそのうちのひとつです。

今年の3月、視覚障害者にとって嬉しいことがありました。日本最大のHCIシンポジウムであるインタラクション2019で、数あるHCIのテーマの中から視覚障害者のアクセシビリティに関する研究が論文賞に選ばれたのです。

論文の第一著者は、早稲田大学大学院修士課程2年の粥川青汰(かゆかわせいた)さん。考案したシステムを、B Beep(ビービープ)と言います。

晴眼者に気付いてもらって衝突を減らすシステム

B Beep正面ズームアップB Beepは、人が密集する空港やショッピングモールなどで、視覚障害者がほかの歩行者と衝突するのを回避させるためのシステムです。早稲田大学、アメリカのカーネギーメロン大学(以下、CMU)、東京大学、IBMの共同研究でおこなわれ、その実働部隊の中心として開発にあたられたのが粥川さんでした。

スーツケース型の衝突回避システムで、視覚障害者の進路方向にいる人物に警告音を鳴らして気付いてもらうのが目的です。大抵の場合、晴眼者は白杖を持った視覚障害者を見つけると自ら避けて視覚障害者に進路を譲ってくれます。しかし晴眼者が視覚障害者の存在に気付いていないときに起きるのが衝突の危険性。

これを回避するため、B Beepでは人物を検出し、位置と距離情報をカメラで取得。検出された人々がどういう動きをしているかを追跡し、衝突予測をおこないます。そして衝突の可能性がある場合に、3段階の警告音で歩行者と視覚障害者自身に知らせます。

自転車のチリンチリン的な役割をものすごく賢い技術でコンピュータがやってくれる、といった感じでしょうか。

詳しくは

をご覧ください。

アクセシビリティのトップに囲まれて未知の研究を

B Beep考案のきっかけは2018年5月、粥川さんが短期の研究インターンシップでCMUに行ったところから始まります。そこはアクセシビリティに関して世界でもトップの研究室。もともと物理学科で素粒子や量子力学に関する勉強をしていた粥川さんにとって、未知の分野での研究となりました。

目標は4ヵ月後のCHIへの論文投稿です。

CHIとHCI。混乱しそうですが、CHIとは世界中のHCIの研究者たちが目指すトップカンファレンスのこと。約3,000本の論文が集まる中、発表されるのは700本。

渡米した5月末時点ではB Beepの影も形も無い状態でしたが、全盲の日本人研究者・浅川智恵子さん(IBMフェロー)とのディスカッションにはじまり、CMUに誘ってくれた東京大学の樋口啓太さん(当時CMUに滞在中)、アクセシビリティの第一人者ジョアオさんらのサポートを受け、プロトタイプの失敗を経ながらも完成へとこぎつけます。

9月21日、無事CHIに論文を投稿。その際、受け入れ先であるCMUの教授のクリス先生からいただいた言葉が「これで通らなかったら驚くよ」でした。

海外での高い評価、日本最高の論文賞、しかし…

粥川さんの論文はクリス先生の言葉どおり700本の中に選ばれました。

評価ポイントは大きく次の2点です。

  • 晴眼者に気付いてもらい避けてもらうようにしたこと
    これまでの研究のほとんどが、視覚障害者に人や物体を検知させることで視覚障害者自身が頑張って避ける、というものだった

  • リアルな環境で評価実験をおこなったこと
    一般的には歩行者役の役者を用意して実験することが多いが、実際の空港で事前通告されていない利用客を相手に検証した
    (リアル環境で衝突を大幅に低減できることを確認できた。また警告音に不快感を示す利用客もいなかった)

以上のようなCHIでの評価に続き、冒頭でもご紹介したとおり、日本国内でも最高の賞を受賞したB Beep。ただ残念なことがひとつ。

研究成果としては、国内外問わず評価されたにもかかわらず、その後の注目度には大きな違いがありました。海外では20以上ものメディアで紹介されたのに対し日本で報じられることはほぼなかったのです。

理由はアクセシビリティの研究に対する盛り上がり方の違いです。CHIが発表した論文キーワードランキングで「アクセシビリティ」は2位に入るほど諸外国では盛り上がっています。しかし日本国内ではアクセシビリティに関する研究論文はほとんどありません。

研究者だけでなく視覚障害者にもできることを考えたい

B BeepはCHIへの投稿でいったんゴールを迎えました。したがって現時点で実用化の予定などはまったくの白紙ですが、大きな評価を得たことで、将来ほかの研究に組み込まれて活かされることは十分期待できます。

そして粥川さんは、今現在もアクセシビリティの新たな研究に取り組まれています。なぜ日本ではアクセシビリティが盛り上がらないのか、という質問に、粥川さんはあくまでも個人の感想として、こう答えてくれました。

「自分もそうであったように、多くのHCIに関わる研究者が視覚障害者を身近に感じていないのではないか。現にCMUで浅川さんに出会うまでは視覚障害者について何も知らなかったたし、普通に料理をしたり外出したり水泳をすることに驚いた」と言います。

また「視覚障害者の存在が身近にあれば、彼らが持っているポテンシャルや、実生活でどういうところに不便を感じているのかを具体的に知ることができる。それを自分が持っている技術を使って解決してあげたいと思うことがアクセシビリティ研究のきっかけになると思う」とも語ってくれました。

まだまだ視覚障害者が晴眼者の中に当たり前に溶け込めていないのですね。日本でアクセシビリティ研究が広がっていないことを研究者の問題にしてはいけない気がしました。もちろん難しいことも多々ありますが、それでも視覚障害者自身が自分たちで社会参加できる状況を積極的に作り出していく必要があるのではないでしょうか。

若い研究者が日本のアクセシビリティ分野に灯してくれた希望の光。もっと盛り上げるため視覚障害者にできることをひとりひとりが考えていけたらと思います。

粥川さんの個人HPもご覧になってください