編集部的雑感

『奇跡の人、塙保己一 ヘレンケラーが心の支えとした日本人』に学ぶ視覚障害者の生き方

視覚障害者webメディアのミルクフ編集部です。

みなさんは塙保己一という人物をご存知ですか?盲学校ご出身の方なら馴染み深い偉人でしょうか。また埼玉県の方であれば地元が誇る大学者として有名かもしれませんね。ただ一般的にはさほど知名度は高くない気がします。

今回は、かのヘレンケラーも崇拝した江戸時代の盲目の国学者・塙保己一について、堺正一著『奇跡の人 塙保己一』をもとに、その偉業と生き方をご紹介してまいります。

群書類従と塙保己一

筆者は子どもの頃、世界の偉人について書かれた伝記が好きでした。ニュートン、エジソン、ライト兄弟、、、。しかしそれらの書籍シリーズに、塙保己一の名前を見かけることはありませんでした。ただ間違いなく彼の功績は偉大です。少なくとも、日本人はもっと保己一のことをを知るべきではないでしょうか。

保己一の数ある功績の中でも、特に有名なのが『群書類従』の編集・出版という文化的大事業。『群書類従』とは、当時散逸する恐れのあった日本の古い貴重な書物を、40年もの歳月をかけて収集・編纂した666冊からなる叢書です。もしこれがなければ、我々現代人が日本の古い文化や歴史などを知る機会が著しく損なわれていたかもしれません。

延享3年(1746年)、武蔵国児玉郡(現在の埼玉県本庄市児玉町)に生まれた保己一は、幼い頃から病弱で7歳のとき病気により失明しました。(年齢はすべて数え年による表記。)また12歳で最愛の母を亡くし、15歳で江戸に出て盲人一座と呼ばれる視覚障害者組織に入門するも、人生に絶望し自殺未遂までしています。

保己一が生きた時代はまだ点字がありません。環境が整ってない。今より偏見や差別も激しい。全盲の視覚障害者が学問をするなど不可能と思われていました。それでも保己一は学問の世界で大きな仕事を成し遂げました。いったいなぜそんなことができたのでしょうか。

保己一が偉大な人物たる3つの理由

江戸時代、視覚障害者の仕事は「あんま・はり」、「三味線・琴」、そして幕府公認の「金貸し・借金の取り立て」の3つでした。視覚障害者たちは早くから盲人一座という組合のような組織に属し、年長の者に付いて上記のどれかを習得していきます。学問がしたい、本を読みたいと思っても、許されるわけもなく学ぶ方法もありません。

もともと器用ではなかった保己一は「あんま・はり」の腕が未熟でした。ただ最大の原因は不器用だからではなくやる気がなかったから。自分のやりたいことをできない無念さから、仕事に身が入らず、昼間からふて寝したこともあるそうです。少しでも保己一について知っている方なら、あれほどの努力家がまさかと思われるでしょう。でも人間は、やりたくない仕事を無理してやるのは本当に苦痛なんですね。

揚げ句、将来に何の希望も見いだせず堀に身投げをした保己一。幸運にも一命をとりとめます。更にこれが人生の転機にもなりました。弟子の苦悩を知った雨富検校が3年の期限付きで、保己一に自由に学問をやらせてくれたのです。検校とは盲人界の最高位。旗本と同等の役職で、将軍拝謁も許されるほどでした。

保己一の体験をとおして、人生において、
①尊敬できる師の存在
②本人のたゆまぬ努力
③多くの人に愛される人柄
が如何に大事であるかを知ることができます。

本来なら、一座を無断で抜け出し自殺未遂までした落ちこぼれの弟子など即刻破門でもおかしくありません。ところが雨富検校は、弟子の苦しい心情を察し、やりたい道に進ませ、その後も陰に日向に支援してくれました。

もちろん保己一の努力も筆舌に尽くし難いものでした。自分で本を読めない保己一は、他人に代読してもらった書物を一言一句聞き洩らさないよう全神経を集中し頭の中に記憶していったのです。

また彼を尊敬する同郷の偉人・渋沢栄一によると、清廉潔白で無欲であり、心が広くユーモアもあったとのこと。どんなに秀でた能力の持ち主でも、周囲の助けがなくてはあれだけの偉業を成し遂げることはできません。一座のほかの盲人たちからも、関わった晴眼者からも愛されていたのはひとえに保己一の人間性によるものでしょう。

保己一の努力と人間性が溶かした差別と偏見

『奇跡の人 塙保己一』の中の一節に、「雪どけ」という創作戯曲の一場面を紹介した箇所があります。この芝居は、水戸藩が藩をあげて取り組んでいた『大日本史』の編纂に、保己一を加えるかどうかで対立する人々のやり取りを描いたものです。『大日本史』と言えば、水戸黄門でお馴染みの水戸光圀が手掛けた大事業。水戸光圀没後もまだまだ完成しておらず、藩の著名な学者たちも頭を抱えていました。

登場人物は7名の学者たち。その中のトップである総裁が停滞しているこの仕事を進めるために、保己一の力を借りようとします。それに反対する学者たちは一様に「自分で文字も読めない盲人にこの貴い仕事を任せるとは何事だ」と憤慨します。しかし総裁の言葉に乗せられ、一人また一人と保己一に対面すると、その学識の高さと知見の深さに触れ、次々と賛成派に転じていきました。また時の水戸藩主であった徳川治保に謁見した保己一は、その飾らず欲の無い人柄が治保に大変気に入られたというエピソードもありました。

「雪どけ」とは、保己一の学問に対する妥協のない姿勢と、屈託のない人間的魅力が、人々の心に巣食う偏見と差別を溶かしていったことを表しています。

こんな特別な人物の生き方は参考にならないと思われましたか?たしかに保己一の探求心や記憶力は凡人には真似のできない天賦の才があります。ただひとつひとつの行動や周囲への配慮と感謝は、我々普通の視覚障害者にもできることです。幸いなことに、今の時代法や制度によって仕事を制限されることはほとんどありません。もし目が見えない・見えにくいためにやりたい仕事を躊躇しているなら、一度『奇跡の人 塙保己一』を読んでみてはいかがでしょうか。