取材記事

見えなくなって忘れていた自分らしさ、取り戻させてくれたのは心優しい人々

長谷川治療院、院長の長谷川伸介さん

神戸市JR摂津本山駅からほど近くにある長谷川治療院。ホームページには全盲である院長・長谷川伸介さんの行動表が書かれているのですが、そこには趣味や習い事の予定がびっしり。

休診日でない日も外出のスケジュールが並んでいるため、本業に支障がないのかお尋ねしたところ
「あぁ、まー大丈夫。ここに載せてるのは全部じゃないからほかにもまだ予定あるけど」
と屈託ない笑顔で話してくれました。

今の主な活動は、ヨガ・俳句・カラオケ・鼻笛・料理。それに不定期でのパソコン講習受講や、福祉協会や支援団体のイベントなど。とにかくアクティブで、生き生きとされています。

目が見えなくなり人付き合いを避けるようになった時期

視覚障害があっても長谷川さんのように行動的な方がいる一方で、自信を持てなかったり不安や恐怖心で行動できない方も、たくさんいるのではないかと思います。

現在の姿からは想像できませんが、実は長谷川さんにも、誰とも人付き合いをせず外にも出かけなかった時期があったというのです。しかもそれはかなり長い期間でした。なぜそこから今のような充実した日々を過ごせるようになったのか。ヒントを得るべく、病気発症当時のお話から伺いました。

20代の頃、全国展開をしている有名ベーカリーでパン職人をされていた長谷川さん。30代で病気の進行により目が見えにくくなったため、国立障害者リハビリテーションセンター(旧名称:国立神戸視力障害センター)の理療科に進みます。3年間寮に入って学び、国家資格を取得。その後、知り合いの治療院での修業期間を経て現在の場所に長谷川治療院を開業。それが40歳前後のことですが、その頃にはほとんど見えない状態になっていました。

そしてそこから約15年、今とは真逆の、孤独で静かな生活が続くのです。

切羽詰まった状態と昔の友人たちがくれたチャンス

開業し全盲になってからの15年間、長谷川さんは驚くことに白杖を持っていませんでした。ご家族のサポートでたまに外へ出る以外は、ほとんど閉じこもっていたのです。

そんな長谷川さんの1つ目の転機はお父様が他界されたこと。いつまでもご家族がサポートしてくれるわけではない、という現実を突きつけられます。このまま一人で歩くこともできないとこの先の人生どうなかるのか、と大きな不安に駆られました。お尻に火がついて、ようやく自立訓練を受けることにしたのです。

2つ目の転機は、昔からの友人たち。小中学校時代の親友Nさんと、大学時代の友人Aさんが、自立訓練を終えたころにそれぞれ訪ねてきてくれました。もともと友だちの輪の中心にいた長谷川さんですが、目が見えなくなってからというもの、自分は足手まといになるだけと卑屈になり、誘いをすべて断るようになりました。しだいに誰も声をかけてくれなくなりほとんどの友人と疎遠に。しかしNさんだけは、時折様子を見に来てくれていましたし、Aさんもたまたま用事で近くまで来ていたときに思い出して自宅に寄ってくれたのです。

自立訓練により、自信と勇気を取り戻しかけていた時期でもあり、長谷川さんはふたりの友人の訪問を前向きに受け入れることができました。今ではNさんたち小中学校時代の仲間と甲子園球場や有馬温泉に定期的に行くようになり、Aさんたち大学時代の仲間とはカラオケサークルまで立ち上げました。この秋には大学の友人12~13人で淡路島へ大人の修学旅行も計画されています。

長谷川さんは、人それぞれ何かのタイミングで心に火がつくときがある、と言います。ご自身の経験を通して発せられた言葉だからこそ、確かなメッセージだと感じました。

生活圏内にどれだけ助けてくれる人を作れるかが重要

旧交を温めて外に出る機会が増えた長谷川さん。そこからは元来の社交的な性格が復活し、視覚障害者の集まりにも積極的に参加するようになりました。視覚障害者の友だちも増え、趣味や余暇活動の時間も多くなり、今や冒頭でご紹介したとおりの超多忙ぶり。

長谷川さんの充実した暮らしは、多くの旧友と視覚障害者仲間や支援者のおかげと言っても過言ではありません。そしてもうひとつ。忘れてはならないのが地域の晴眼者の人たち。長谷川さんにとって多くの友人たちと同じぐらい大切な存在です。歩行訓練を受け、ひとりで白杖を持って歩き回れるようになったとは言え、外に出たとき困りごとに遭遇するのは誰しもあること。そんな時に助けてくれるのは町にいる身近な人たちなのです。

そのために長谷川さんは意識して地域の人と交流するようにしています。いろんな店に行き店員さんに顔を覚えてもらう。駅では駅員さんと顔見知りになる。自分からコミュニケーションを取っていけば向こうから声をかけてくれるようにもなります。地域の晴眼者の人と仲良くなれれば味方がひとり増えたようなもの。視覚障害者が外出しやすくなるためには、白杖を使った歩行技術を磨いていくのもひとつの手段ですが、長谷川さんのように自ら頼れる人を増やしていくのも大変重要なことだと思います。

今回長谷川さんには、あらためて人との繋がりの大切さを教わりました。中途視覚障害者の中には、見えにくくなって自分から周りの人と距離を置いてしまった、という方も少なくないかもしれません。仮にもし今そういう状態だとしてもきっと大丈夫。長谷川さんの仰る、その人なりのタイミングでいつか状況が変わる日が来るはずです。