連載

RPべるぎーの胸の内:障害者と恋愛(1)

みなさんは、テレビドラマや映画、小説の登場人物に自分を重ねて観たり読んだりした経験はありますか?

私は感情移入しやすいタイプのため、登場人物に自分を重ねたり、自分と置き換えて考えたりすることが日常茶飯事です。笑
そんな私が初めて登場人物に自分を重ねて観たテレビドラマは『美丘-君がいた日々-』(みおか きみがいたひび、以下『美丘』)でした。観ていた方や覚えている方、思い出した方もいらっしゃるでしょうか。

今回は、私がとても感情移入しながら観たドラマ『美丘』を通して感じたことや考えたこと、「障害者と恋愛」について書かせていただきます。

『美丘』と私

『美丘』は石田衣良さんによる恋愛小説で、難病を発症した女子大生・美丘と、彼女に恋をした太一の13か月間の恋の物語です。2006年10月に角川書店より刊行され、日本テレビにてドラマ化。ドラマは全10話で、2010年7月〜9月に放送されました。

そんな『美丘』の中で私がもっとも自分を重ねた登場人物。それは、主人公である「難病を発症した女子大生・美丘」でした。では、なぜ私が美丘と自分自身を重ねたのか。その一番の理由は、私も難病を患っている障害者だからです。

ドラマの中では、今まで当たり前にできていたことが一つひとつできなくなっていく恐怖や不安、恋人に対する複雑な感情、障害者の家族の心情などが分かりやすく表現されていたように思います。だからこそ、美丘に感情移入して同じ気持ちになったり、美丘と自分自身だけではなく美丘の周囲の登場人物たち(友人や家族、恋人)と自分の周囲の人たちを重ねたりしやすく、現実を突きつけられている感覚になりました。

『美丘』がドラマ化され放送された2010年は、私が病を宣告されてから2年後の高校3年生の年でした。美丘と年齢が近かったことも、自分を重ねやすい要因だったと思います。そして、当時お付き合いしている方がいた私は、ドラマを観たことでより現実味を感じ、将来について不安視するようになっていきました。

将来への不安

『美丘』の中で、病が進行してきた主人公の美丘がお手洗いに間に合わずに部屋の中で漏らしてしまうシーンがあったのですが、私にはとても衝撃的なシーンでした。

私が患っている病である「網膜色素変性症」は美丘と違って死に至る病ではありません。しかし、中途失明の原因ナンバーワンとも言われる病。私はそのシーンを観たことで、いつか自分も目が見えなくなったら1人でお手洗いに行けなくなるのではないか、当たり前にできていたことが一つひとつできなくなっていくことに耐えられるのか、もし自分が美丘の立場なら迷惑をかけたくないからと恋人と別れるだろうなどと、少しずつ将来について悲観的に考えるようになりました。そして、「お付き合いしている方とは別れたほうが良いのかもしれない」とも考えるようになりました。

『美丘』を観たことで将来に対して悲観的になった私は、自分の中に芽生えた不安を当時お付き合いしていた方に打ち明けることにしました。私が不安を打ち明けると、彼も『美丘』を観ていたこと、その上で私と一緒にいたいと思ってくれたこと、将来も支えていきたいと思い覚悟を決めたことを話してくれました。

高校3年生、18歳の覚悟なんてちっぽけなもので、将来のほうが長いことから考えても信用ならないものかもしれません。多感な時期だからこそ逆境に燃えていたり、熱くなっていた可能性もあると思います。しかし、これから目が見えなくなっていくであろう人を支えると覚悟を決めることは、そう簡単なことではないと思います。お互いの環境の変化が理由でその彼とはお別れすることになりましたが、私を支えていきたいと思ってくれたことや覚悟を決めてくれたことに対しては、今でも感謝しています。

障害者とお付き合いするということ

障害者とお付き合いするには、それがどんな障害であろうと覚悟を求められるのではないかなと思います。ドラマや小説でも、障害者の恋愛モノには覚悟がつきまとう印象です。

健常者と障害者の恋愛は、「一生支えていかなければならない」という責任のようなものが、健常者同士の場合よりも健常者側に重くのしかかってしまったり、健常者側が重く考えてしまったりしがちではないでしょうか。それゆえに、障害者側は遠慮しがちになったり、弱い立場になってしまう…。

しかし、本当は支え合って生きていくことが理想であって、そこに健常者も障害者もないはずです。障害者も健常者の心の支えになることだってできるのですから。私はそう考え、「視覚障害者だから」と弱気にならず生きていきたいです。

ライター:べるぎー