連載

RPべるぎーの胸の内:視覚障害者として過ごした高校生活(1) 初めてのカミングアウト

私は、高校へ入学してから「網膜色素変性症」という目の病気であることが分かりました。自分自身も病気だと気付かなかった中学校生活は、病気が原因によるいじめや嫌がらせなどを受けていたため辛い思い出が多いです。しかし、そんな中学校生活とは大きく変わり、高校生活は楽しい思い出がたくさんあります。

今回は、視覚障害者と分かった上で過ごした「高校生活」と「カミングアウト」について書かせていただきます。

緊張のカミングアウト

目の病気だと宣告されたあと、「学校側にはできる限り早めにお伝えしないといけない」という思いがありました。そう思っていた時期は偶然にも三者面談が行われており、「これはチャンス!」と、検査結果のデータを持参して一緒に見てもらいながら、担任の先生に病気であることをカミングアウトしました。視覚障害者だからと言って退学させられることは無いとは思っていましたが、学校など大きい組織に対してカミングアウトすることは初めてのことだったので、お伝えするときにはとても緊張したことを覚えています。

「カミングアウト」と言っても、病気を宣告される瞬間までは視覚障害者であるという疑念すら抱いていませんでした。それまで晴眼者のみんなと同じように暮らしてきたこともあり、できないことが自分でもはっきりと分からず、「私にとっては、これが普通」と思っている状況でした。

当時から人混みや夜道などに苦手意識はあったものの、病気の宣告を受けたばかりの頃は、まだ「不便だな」と思うことが少なかったです。それに加えて、何ができて何ができないのか、何をしてもらえれば快適に過ごせるかなどの説明にも慣れていなかったため、初めてカミングアウトしたときは以下のことを伝えるのみとなりました。

・「網膜色素変性症」という病気であること
・視野が狭い、暗いところは見えにくい、まぶしく感じやすいなど、病気の主症状
・人や障害物にぶつかりやすい、階段の上り下りが怖いなど、病気によってもたらされること
・まぶしく感じやすいので、色付きの眼鏡(遮光眼鏡)をかけさせてほしいこと
・カミングアウトして友人たちが離れていくことが怖かったため、親しい人たちには自分でカミングアウトし、クラスメイトや学年全体には話さなくて良いと思っていること
・下に置いてあるものは見えずに蹴る可能性が高いため、カバンや壊れてはいけない物などは通路の真ん中などに置かず、机の横にかかけるか置くかするように呼びかけてほしいこと
・学校側で対応してほしいことが出てきたら可能な範囲で協力してほしいこと
・自分からわざと物を蹴ったり人にぶつかったりは絶対にしないので、もしそれが原因で問題が発生したら、わざとやっているわけではないと理解してほしいこと

カミングアウトしてからの学校生活

カミングアウトすることによって私から離れていく人たちもいるだろうと覚悟しつつ、親しい友人たちにも目の病気であることを打ち明けていきました。しかし、とても幸いなことに話を聞いて私から離れていく友人は1人もいませんでした。それどころか、理解を示してくれる友人ばかりだったのです。

一列に並んで移動する際に私が後ろから何度もぶつかってしまって、それをわざとやっていると思っていた友人がいましたが、その友人にも病気であることを伝えると、理解を示してくれました。中学校生活では、まったく考えられなかったことです。

カミングアウトした直後は、それまでの生活と同じように机の角にぶつかったり、少しの段差でつまずいたり、階段を踏み外したりしていましたが、大きなケガや問題もなく、毎日楽しく過ごしていました。

カミングアウトしてから1年くらい経つと、自分で注意しながら過ごすことも増えました。狭いところや暗いところではゆっくり歩いたり、なるべく友人と行動して障害物があれば教えてもらったり。そんな日々を過ごすうちに、少しずつ不便を感じ始めました。
担任の先生と相談し、ホームルームの時間にクラスメイト全員にカミングアウトしたり、エレベーターを使わせてもらったりと、視覚障害者として配慮してもらうことが増えていきました。

(次回、視覚障害者として過ごした高校生活。カミングアウトはどこまで必要?へ、つづく)

ライター:べるぎー