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RPべるぎーの胸の内:気付かない病気、理解されない障害。思春期の壮絶な体験(2)

これは、思春期に「網膜色素変性症」という病気であることが分かる少し前の、私の経験に基づく話です。

中学校で憧れの先輩と同じ吹奏楽部に入部した私は、期待に胸を膨らませていました。しかし私を待ち受けていたのは、本人すら気付かない目の病気と、それが原因によるいじめや嫌がらせでした。

外見ではまったく分からない病気や障害は、時に深刻な事態を引き起こすこともあります。今回は前回に引き続き、私が経験した「障害への理解」について書かせていただきます。

この記事は2019年10月23日掲載の
「RPべるぎーの胸の内:気付かない病気、理解されない障害。思春期の壮絶な体験(1)」
のつづきです。まだお読みになっていない方は、先に(1)からご覧ください。

休部明け

休部しても、A先輩も周りの先輩も顧問も、何も変わっていませんでした。相変わらず責められる日々でしたが、「そのうち先輩たちは卒業する」と思い、何とか我慢しました。

先輩たちが卒業して責められることも少なくはなりましたが、私が卒業するまで、だいたいの人には理解されませんでした。

結局、中学校卒業から半年くらいしてから眼科で詳しい検査をしてもらい、病気であることが分かりました。そのとき一番に浮かんできたことは「私を責めた人たちの顔」と「怒られ続けた原因が分かった安心感」です。

中学卒業から10年は経ちますが、当時、私を責めた人たちに対しては、「理解してもらえなかった」という悔しい気持ちが今も残ります。

当時、中学生であった上に病気のことを知らなかったとはいえ、人の言うことを疑うばかりで信じようともしなかった人たちには、正直「少しくらい私の言い分を聞いてくれても良かったのでは?」という気持ちでいっぱいです。とはいえ、私も自分が目の病気だなんて知らなかったですし、先輩たちにも悪気はなかったのだと思います。だからこそ、あの時は理解を得られなかった人たちも、今なら話せばきっと分かってくれると信じています。今の私には、診断書や視野範囲を可視化できるデータもありますから。

まとめ

結局、私は「障害への理解」を得られないまま、中学を卒業しました。自分すら障害を認知していなかったわけですが。

みなさんの周りにも、下にあるものを蹴ったり、柱にぶつかったりしている人はいませんか?目の病気といっても、見た目では分からない人も多いです。白杖を持っていても全盲の人とは限りませんし、白杖を持っていない人でも視覚障害者である場合は多いと思います。

もし、みなさんの周りに私のように「わざとやっているように見える行動をしている人」がいたら、「もしかしたら視覚障害者かも」と頭の隅でも良いので少し考えてみてください。
本人が故意にやっていない場合、注意したり怒ったりするだけでは解決しません。当事者は「自分は頭がおかしいのかも」と落ち込み、精神的な負担も大きくなり得ます。

私は「自分の見え方が普通」だと思って、病気が分かるまでずっと生きてきました。同じ病気でも視野欠損の範囲には差がありますし、データとして見ない限りは「他人の見え方」が私には分からないため、想像するしかありません。それは、晴眼者のみなさんも同じだと思います。視覚障害者の見え方は、体験しない限り分かりにくいことではないでしょうか。みなさんの見え方は、みなさん本人にしか表現することができません。だからこそ、障害への理解、健常者と障害者の歩み寄りが必要だとも思います。

私の「網膜色素変性症」という病気は、現在治療法がありません。しかし、病気が分かった今なら、昔のように怪しまれてもちゃんと説明ができます。下にある物を蹴ってしまったっときに「ただの不注意」と言われ続けていた私にとって、これは大きな進歩です。

今回書いたようなことなどからも、「目に見えない障害」は「目に見える障害」よりも理解を得ることが難しいと実感しています。痛みを伴わない病気の場合は、自己認知も含めて難しいと思います。

「目に見える障害だったら」なんて考えたこともありましたが、どちらもそれぞれのツラさがあるはずです。

健常者も障害者も、さまざまな障害への理解が広まることを願います。

ライター:べるぎー

 

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